住吉大社
About
The head shrine of the more than two thousand Sumiyoshi shrines across the country, founded when the three Sumiyoshi deities were enshrined at this place on the homeward way of Empress Jingu from her campaign in Korea. The four sanctuary buildings, raised in the Sumiyoshi style—one of the oldest forms of shrine architecture—are National Treasures. The Sorihashi, the arched 'drum bridge' of stone piers and steep wooden span, is said to purge sin and impurity from all who cross it. From antiquity the shrine has been a guardian of safe voyage: even the envoys to Tang China called here to pray before setting sail.
History
住吉大社は神功皇后摂政十一年(西暦二一一年頃)の鎮座と伝えられる、日本でも屈指の古社です。
【三韓征伐と鎮座伝承】
『日本書紀』によれば、神功皇后が朝鮮半島への遠征(三韓征伐)に赴く際、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の加護によって海路の安全を得たとされます。帰還した皇后は、その神託に従って現在の地に三神を祀りました。摂津国の住吉の地が選ばれたのは、当時この一帯が大阪湾に面した海辺であり、瀬戸内海から難波津へ至る航路の要衝であったためです。
【遣唐使との縁】
奈良・平安時代、遣唐使は出航にあたって住吉大社に航海の安全を祈願するのが慣例でした。当時の東アジアへの航海は命がけの事業であり、住吉三神は海上守護の神として国家的な信仰を集めます。この伝統から、住吉大社は今日でも航海、漁業、さらには交通安全全般の神として広く信仰されています。
【住吉造という様式】
本殿四棟はいずれも住吉造と呼ばれる様式で建てられ、国宝に指定されています。切妻・直線的な屋根の形状は、伊勢神宮の神明造、出雲大社の大社造と並んで、仏教建築の影響を受ける以前の日本古来の神社建築の姿を伝えるとされます。四棟の本殿が縦に三つ、その横に一つという「住吉造配列」で並ぶ独特の配置も特徴です。
【反橋と住吉信仰の広がり(中世〜近世)】
境内の反橋は豊臣秀吉の側室・淀殿が奉納したと伝えられ、太鼓橋とも呼ばれます。石造りの橋脚に架かる木橋は最大傾斜が四十八度に及び、渡るだけで穢れが祓われるという信仰があります。中世以降、住吉信仰は商業の神としての性格も強め、大阪の商人たちの篤い崇敬を集めるようになりました。「すみよっさん」の愛称で親しまれ、初詣には大阪府内で最多クラスの参拝者を集めます。
【全国への展開】
住吉三神を祀る神社は全国に二千社を超えるとされ、下関の住吉神社、博多の住吉神社とあわせて「日本三大住吉」と称されます。大阪の住吉大社はその総本社にあたります。
【近代から現代(一八六八年〜)】
明治の近代化のなかでも大阪を代表する神社としての地位を保ち続けました。毎年七月末から八月にかけて行われる住吉祭は、大阪三大夏祭りの一つとして今も盛大に営まれています。境内には約六百基の石灯籠があり、そのほとんどが江戸期に商人たちによって奉納されたもので、当時の海運業や問屋業の隆盛を今に伝えています。
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