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浅草寺

浅草寺

About

The oldest temple in Tokyo, said to date from 628, when a statue of Kannon caught in the nets of fishing brothers on the Sumida River was enshrined. The approach running from Kaminarimon gate through the Nakamise lane to the main hall draws thirty million visitors a year, Tokyo's foremost temple town. The principal image, the Bodhisattva Sho Kannon, is an absolute hidden Buddha, with no record of its having ever been displayed.

History

浅草寺は推古天皇三十六年(六二八年)の草創と伝えられる、東京最古の寺院です。

【草創伝承(六二八年〜九〇〇年頃)】

宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟の網に、一体の仏像がかかりました。郷司の土師中知はこれを聖観世音菩薩と知り、自宅を改めて寺としたと伝えられます。大化元年(六四五年)、勝海上人が観音堂を建て、以後この本尊は誰も見ることのできない秘仏と定められました。今日に至るまで開帳された記録はなく、代わりに前立本尊が拝観の対象となっています。

【武家の信仰(九四二年〜一六〇三年)】

天慶五年(九四二年)、平公雅が武蔵守の任を祈願して成就した礼に伽藍を整備しました。鎌倉期には源頼朝をはじめ関東の武士の信仰を集め、寺は次第に東国有数の観音霊場となっていきます。

【江戸の中心地として(一六〇三年〜一八六八年)】

徳川家康が幕府の祈願所と定めたことで、浅草寺は江戸城の鬼門を守る寺として特別な地位を得ました。参道には商家が並び、周辺には芝居小屋や見世物小屋が集まって、江戸随一の盛り場が形成されます。参拝と娯楽が地続きになったこの門前町の姿は、今日の浅草にそのまま受け継がれています。仲見世の始まりは、境内の清掃に従事する人々に営業を許した御用商人の店だったとされます。

【東京大空襲(一九四五年三月十日)】

昭和二十年三月十日未明の東京大空襲により、本堂、五重塔、雷門をはじめ伽藍のほとんどが焼失しました。本堂は国宝に指定されていましたが失われ、境内の大銀杏も焼けています。この空襲では下町一帯で十万人が犠牲となり、浅草寺の境内にも多くの遺体が運び込まれました。

【戦後の再建(一九五八年〜一九七三年)】

昭和三十三年(一九五八年)、全国からの寄進によって本堂が再建されます。木造ではなく鉄筋コンクリート造としたのは、二度と焼失させないという判断からでした。雷門は昭和三十五年(一九六〇年)、松下幸之助の寄進により約九十五年ぶりに再建されています。松下が病気平癒の礼として寄進したもので、大提灯の底には今も松下電器の名が記されています。五重塔は昭和四十八年(一九七三年)に再建されました。

【現代】

年間三千万人が訪れる、日本で最も参拝者の多い寺院の一つです。五月の三社祭は隣接する浅草神社の祭礼ですが、境内一帯が一体となって賑わいます。羽子板市、ほおずき市など江戸から続く市も今なお開かれています。

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