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伊勢神宮

伊勢神宮

About

A whole of 125 shrines centered on the Inner Shrine, dedicated to Amaterasu Omikami, ancestral deity of the imperial house, and the Outer Shrine, dedicated to Toyouke Omikami, deity of food, clothing, and shelter. For some thirteen hundred years the Shikinen Sengu has rebuilt the sanctuaries anew every twenty years on the adjoining ground. Purifying your hands in the Isuzu River and crossing Uji Bridge on the way to the main sanctuary, you walk through the prototype of Japanese shrine architecture. In the Edo period, the pilgrimage to Ise was the great journey of a lifetime for ordinary people.

History

伊勢神宮は正式には「神宮」といい、内宮の創建は垂仁天皇の御代に遡ると伝えられます。

【内宮の鎮座(垂仁天皇の御代)】

『日本書紀』によれば、天照大御神は当初宮中に祀られていましたが、皇威と神威を分けるべきとの考えから、各地を巡ったのち、垂仁天皇二十六年に伊勢の五十鈴川のほとりに鎮座したと伝えられます。この地を選んだ倭姫命は、「この国は美しい国、風光明媚な国、神風の伊勢の国に居りたい」と述べたと『倭姫命世記』に記されています。史実としての年代は定かではありませんが、皇祖神が伊勢に祀られたという伝承は、日本の国家形成そのものと結びついています。

【外宮の鎮座(雄略天皇二十二年)】

内宮鎮座から約五百年後、雄略天皇の夢に天照大御神が現れ、一人では食事も安らかにできないので豊受大神を丹波から迎えるようにと告げたと伝えられます。これにより丹波国から御饌都神・豊受大御神が山田原に迎えられ、外宮が創建されました。以来、外宮では朝夕の御饌を大御神に捧げる神事が今日まで一日も欠かさず続けられています。

【式年遷宮】

持統天皇四年(六九〇年)に内宮で最初の式年遷宮が行われて以来、戦国時代の中断期を除いて、二十年に一度、社殿・御装束・神宝のすべてを新しくする制度が続いてきました。隣接する二つの敷地(古殿地)を交互に用い、同じ形式で建て替えることで、技術そのものが世代を超えて継承されます。令和十五年(二〇三三年)に第六十三回の式年遷宮が予定されています。永遠に新しくあり続けるという発想は、不変の様式を保ちながら建物自体は常に若いという、世界でも類のない保存の思想です。

【中世の混乱と式年遷宮の中断(一四六二年〜一五八五年)】

戦国時代、財政難と戦乱により式年遷宮は一時中断を余儀なくされました。特に外宮は約百二十年間、遷宮が行われない時期が続きます。この苦境を救ったのが、勧進によって全国から浄財を集めた慶光院の尼僧たちでした。織田信長、豊臣秀吉の援助も得て、天正十三年(一五八五年)に遷宮が再興されています。

【お伊勢参り(一七〇五年〜一八三〇年)】

江戸時代、伊勢参りは庶民にとって一生に一度の大旅行として広く定着しました。関所を通る通行手形がなくても、伊勢参りを名目にすれば黙認されることが多く、数百万人規模で人々が街道に押し寄せる「おかげ参り」が数十年おきに発生しています。宝永二年(一七〇五年)や文政十三年(一八三〇年)の記録では、当時の日本の人口の一割から二割に相当する人数が短期間に伊勢へ向かったとされます。

【近代から現代(一八六八年〜)】

明治以降、神宮は国家神道の中心として特別な地位を与えられました。戦後は一宗教法人として、しかし今も日本の神社の頂点に位置づけられています。平成二十五年(二〇一三年)に第六十二回式年遷宮が行われ、内宮・外宮の正宮をはじめ多くの社殿が新造されました。

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