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円覚寺

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円覚寺

About

弘安五年(一二八二年)、北条時宗が蒙古襲来の戦没者を敵味方の区別なく弔うために建てた禅寺です。鎌倉五山の第二位。国宝の舎利殿は禅宗様建築の最も完成された遺構とされ、急勾配の屋根と扇のように広がる垂木が特徴です。北鎌倉駅を降りてすぐ、総門への石段が始まります。夏目漱石が参禅し、『門』の舞台となったことでも知られます。

History

円覚寺は弘安五年(一二八二年)、鎌倉幕府八代執権・北条時宗によって創建されました。

【蒙古襲来と創建(一二七四年〜一二八二年)】

文永十一年(一二七四年)と弘安四年(一二八一年)の二度にわたる元の襲来を退けた後、時宗は宋から招いた無学祖元を開山として円覚寺を開きます。目的は、この戦いで命を落とした人々の菩提を弔うことでした。特筆されるのは、日本側の戦死者だけでなく元・高麗側の戦死者も等しく供養の対象としたことです。勝った側が敵の死者を同じく弔うという発想は、当時としても異例でした。

【無学祖元と時宗】

無学祖元は、元軍が寺を襲った際に「臨刃偈」を唱えて動じなかったという逸話を持つ僧です。時宗は蒙古襲来の重圧のなかで祖元に参禅し、恐れとどう向き合うかを問うたと伝えられます。時宗は円覚寺創建の二年後、三十四歳で世を去りました。

【舎利殿】

源実朝が宋から請来したと伝わる仏舎利を安置する堂で、国宝に指定されています。もとは鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿を、永禄年間(一五六〇年代)に移築したものです。屋根の反りが強く、垂木が扇状に広がる扇垂木、上下に細くなる粽付きの柱、詰組の組物といった禅宗様の特徴を最も純粋な形で備えており、日本の中世建築を語るうえで欠かせない遺構とされます。通常は非公開で、正月三が日と十一月の宝物風入の期間などに公開されます。

【洪鐘】

正安三年(一三〇一年)、九代執権北条貞時が鋳造させた高さ二百六十センチの梵鐘で、鎌倉最大です。国宝に指定されています。江ノ島弁財天の加護によって鋳造に成功したという伝承があり、六十年に一度、洪鐘祭が行われます。

【近代(一八六八年〜)】

明治期には居士禅の拠点となり、多くの知識人が参禅に訪れました。夏目漱石は明治二十七年(一八九四年)に円覚寺で参禅し、その体験が小説『門』に色濃く反映されています。西田幾多郎、鈴木大拙もここで学びました。関東大震災では伽藍が大きな被害を受け、その後順次復旧しています。

【現代】

臨済宗円覚寺派の大本山として、今も修行道場が置かれています。北鎌倉駅のホームのすぐ隣が境内という立地で、電車の音が聞こえる場所から石段を上ると急に静かになります。

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